2012年4月17日火曜日

あずき洗いと冬の夜

どうやら我家には妖怪が住みついているらしい。それに気付いたのは2月初旬の深夜のことでした。

連日の大雪による災害的状況を脱していなかった我家では、家屋の周囲を屋根から下ろした雪にすっかり覆われ、玄関から出入りするにも高く積もった雪に掘ったトンネルをくぐり抜けなければならないほどでした。この冬は雪の降り始めも早く、12月中頃には毎朝の除雪作業が日課となりました。全国ニュースなどでもしばしば各地での記録的な大雪が取り上げられていたようで、1月中にはあちらこちらから私たちの身を案ずる声が届けられていました。しかしそんな心配の声をよそに容赦なく雪は降り続け、私たちは空襲におびえるようにして日々を過ごすしかありませんでした。このまま永遠に冬が続くのではないだろうかと錯覚しそうなほど精神的にも疲れ果てていましたが、2月に入ってしばらくすると腕のよい猛獣使いがライオンをなだめるように天候は落ち着きを見せ、空白の行間のような静かな日々が訪れました。

そんな日の真夜中、ふと目を覚ました私は、いつものように布団から起き出して外の様子を見ようと玄関の方に行きました。玄関から見える外路灯の明かりの様子から、降雪の状況を大まかに把握することができるからです。雪がたくさん降っていれば明日も朝から屋根の雪下ろしになるだろうと考えると憂鬱な気持ちになりました。なにしろこの冬はもう5回も屋根の雪を下ろしているのです。そりゃ誰だって嫌になります。しかし玄関のガラス戸の向こう側に高く積もった雪のわずかな隙間からは、白い光がはっきりと確認できました。どうやら雪は降っていないようです。その代わりに放射冷却の影響で家の中まで凍りつきそうな程に冷え込んでいました。ほっとひと安心した私は温もりの残っている布団に戻り、再び目を閉じました。冷たくなった足が少しずつ温まっていくのが判りました。「雪もそろそろ落ち着きを見せるだろうか?いやいやまだまだ予断は許せないだろう。」私はそんなことを考えながらしばらくの間まどろんでいましたが、ようやくウトウトし始めた頃、天井の方から奇妙な音が聞こえてくるのに気がつきました。

「キュゥゥゥゥッ・・・・キュッ・・・・キュゥゥゥゥッ・・・・キュッ・・・・」それは人が降り積もったばかりの雪の上を注意深く歩いている時のような音でした。実は私がこの音を聞いたのはこれが二度目です。一度目は平成18年豪雪の真っ只中の夜のことでした。その時は屋根には1メートル50センチ以上の雪が積もっていて、なおかつ執拗に雪が降り続いていました。そんな状況の中でその音を聞いた私は雪の重みで家が潰れる前兆なのだと思い込み、夜明けを待たずに屋根に上って雪下ろしを始めました。ところが、今夜は雪なんて降っていませんし、屋根雪も30センチくらいしか残っていません。ですからこの音が雪の重みで家が倒壊する前兆の音であるというのは間違いである可能性が高いと考えられます。そうすると一体何の音なのでしょう。幽霊や妖怪の類か、それともひと月遅れのサンタクロースが侵入口の煙突の穴が小さいじゃないかと屋根の上で途方に暮れているとでもいうのでしょうか。私は少し混乱しながらこの怪現象についてあれこれと可能性を考え、小さい頃に読んだ一冊の漫画の中に、今起こっている現象ととても似た話が書かれていたのを思い出しました。

30年以上前、小学校低学年だった頃の私は3歳年上の兄の買ってきた漫画を借りて読むことがよくありました。当時子どもたちの間で人気があったのは少年チャンピオンという漫画雑誌で、兄の書棚にもそれに掲載中の『ドカベン』や『マカロニほうれん荘』、『レース鳩999』などといった人気漫画のコミックス=単行本がたくさん並べられていました。そしてその中に『ロン先生の虫眼鏡』という少し地味ながらも子ども心を夢中にさせてくれた一冊の漫画がありました。これは私たちの身近に住む小さな昆虫や小動物が巻き起こす数々の不思議な事件を、主人公のロン先生が豊富な知識と持ち前のフィールドワークでわかりやすく解説してくれるという物語で、愛読者たちの間ではファーブル昆虫記の日本版とも呼ばれています。その中のひとつに『小豆洗い(あずきあらい)』という妖怪が客室に現れて困っている古い民宿の謎を解き明かすという話がありました。『小豆洗い』とは雨の夜や静かな夜更けにどこからともなく「ザクッ・・ザクッ・・」と小豆を洗っている音が聞こえてくるという怪談に登場する妖怪のことで、その姿を見た者は死んでしまうという如何にもな余談までついています。

たまたま居合わせたオカルト記事探しの新聞社の人たち数名とその部屋に泊まることになったロン先生。夜も更けて皆が寝静まった頃、何処からともなく「ザッ・・・ザッ・・・ザッ・・・」と小豆を研ぐ音が聞こえきます。一斉に目を覚まして大慌てする人たちを静かに制して、ロン先生は部屋の隅々をじっと観察し、1匹の小さな虫を捕まえます。そしてそれを慎重に顕微鏡の板ガラスに乗せ、皆に見せながら言います。「さあとうとう小豆洗いを捕まえたぞ!」 さすがに虫の名前までは覚えていなかったのでインターネットで探してみたところ、ロン先生の見つけた犯人はチャタテムシという非常に小さな昆虫だったようです。チャタテムシはあごで障子や柱を引っ掛けてサッサッサッという特徴のある音を立てるのだそうで、人々はそれを薄気味悪がり『小豆洗い』と呼んで恐れていたのだと書かれています。ロン先生の話は続きます。チャタテムシは農薬のために今では山奥の民宿にしかいない。実をいうと自分はチャタテムシの音を聞くためにこの民宿に来ているのだ。だからできれば新聞などで騒ぎ立てずにそっとしてもらいたいのだ、と。

さて、改めて『小豆洗い』についてWikipediaで調べてみたところ、新潟県の糸魚川市に出没すると書かれていたことにとても驚きました。やはりそうなると我家の天井で奇妙な音を立てているのもこの『小豆洗い』=チャタテムシである可能性が高まってきます。こんな貴重な生き物が我家に住み込んでいるのかも知れないとなるとちょっと興奮してきますね。しかし、こんな真冬の寒い日に活動する虫がいるのだろうか?と疑問も残ります。どなたかこのチャタテムシ方面に詳しい方がいらっしゃいましたら是非お教えくださいませ。

それ以来、夜更けに目が覚めるたびに、『小豆洗い』はいないだろうかとよく耳を澄ましてみるのですが、期待とは裏腹に一向に現れてくれそうな気配はありません。そうこうするうちに長かった冬も少しずつゆるみ、待ち遠しかった春がまたやって来たようです。

参考URL:
http://www.asahi-net.or.jp/~an4s-okd/book/43001.htm 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E8%B1%86%E6%B4%97%E3%81%84

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