2011年7月27日水曜日

特定検診2011

 前日の20:00から絶食し、朝食を抜いたまま糸魚川総合病院に行きました。何故なら今日は年に一度の特定健康診断の日なのです。自営業者は40歳になると自治体の健康診断を無料で受けられます。しかもそれには胃・肺・大腸のガン検診も含まれます。41歳の僕は2回目の検診。


 昨年、40歳の誕生日を迎えたところ、市から無料健康診断の案内が届きました。昔会社勤めをしていた頃には年に一度、半ば強制的に健康診断が行われていたので、自分の体に欠陥があるにせよ無いにせよ、とりあえずは現状を把握することはできていましたが、独立(といっても自営業)してからは自分の意思で健康診断を受診しなければならなくなり、そうするとスケジュールを調べるのがおっくうであったり、いつの間にか申請の手続きの日が過ぎてしまっていたりして、すっかり自己健康管理から遠ざかっていました。
 案内をもらったものの、さすがに10年間のブランクがあると、どこか体に悪いところが見つかってもおかしくありません。そう考えるとますます弱気になってしまい、やっぱり今年も行かなくてもいいかなと思いかけたのですが、ふと検査項目の中に好奇心をそそる内容が目に留まったのです。それは胃がん検診で飲む、あの悪評高い「バリウム」というやつです。一度飲んでみたい。
 健康診断当日、身長体重測定から始まり、血圧測定、レントゲン、採血と検査をこなし、いよいよ待ちに待った胃がん検診です。ちょっとわくわくしながら、「バリウム飲むの初めてなんですけど」と告げると、担当の看護士さんは「最初にこの発泡剤を飲んでからその後にバリウムを飲んでください。ゆっくりで構いませんからね。飲んでからはゲップをしないでくださいね」と説明してくれました。さあ、お猪口ほどの計量カップに入ったラムネのような発泡剤をクイッと飲み、続いて念願のバリウムも味わいつつも一気に飲み干しました。ふーん、ぜんぜん不味くありません。いや、むしろどちらかというと美味しい部類に入るのではないでしょうか。ただ発泡剤がおなかの中でシュワシュワと泡立つのでおなかがどんどん膨れてきます。こ、これは苦しいっ! その後、宇宙飛行士が三半規管の訓練に用いるような機械の上で、ぐるぐる回転させられながら、世間一般でバリウムが不味いとつぶやかれる背景には、バリウム自体の味の問題以上に、発泡ラムネとの飲み合わせの問題、それとこの三半規管訓練機による宇宙酔いに要因があったに違いないと思いをめぐらせていたのでした。

 長くなっちゃいましたが、今年もまあ内容は同じもので、身長体重、血圧、レントゲン、採血して、ラムネ飲んで、グルグル回されて。。。で午前中を終えました。

2011年7月23日土曜日

夏休みが始まる

 昨日、葉月は学校で育てていたアサガオを持って帰ってきました。つまり、彼女は今日から夏休みに入ったのです。
 とは云ったものの、平日は学校内の児童クラブに通う予定なので、毎日学校に行くことは変わりないのですが、車での送り迎えやお弁当持参など、平常の通学にはない負担が親御には圧し掛かってくるのです。
 子供の頃には判らなかったことですが、親の気持ちとしては早く夏休みが終わって、普通に学校に通う日が帰ってきて欲しいものです。

2011年7月22日金曜日

パンの紹介

自家製酵母の発酵パン:全粒粉:いちじくとオレンジピール


 Ragged ovenのパンを初めて注文をされるという方に、どれが美味しいかしらと尋ねられた際、とりあえずはこれがお勧めですと推薦してみるのがこのパンです。食べるサイズにカットし、軽くトーストしたこのパンを、パクリとかじった瞬間、口鼻に広がるオレンジの香りがなにげに衝撃的だからです。
 古今東西、なかなかこういうパンには出会えません。そんなにお勧めするほどにこのパンはおいしいです!
 高いけど。。。

2011年7月18日月曜日

畑に花が咲いていました。

 あまり見慣れませんがこれはニンジンの花です。後ろに見える大きな葉っぱはトウモロコシのもので、手前の細い茎と細い葉っぱがニンジンのものです。見づらくてスミマセン。
 これは昨年蒔いた種がすっかり忘れられた頃に発芽し、そのまま冬を越して、春になってから再び伸びて花を付けたものだと思われます。ちゃんと調べてみないと判りませんが、ニンジンはセリ科の植物なので、もしかすると多年草なのかも知れません。
 もしそうだとすれば、庭にニンジンの種を蒔いておけば、毎年花を咲かせてくれる(ニンジンを収穫すると花は咲きません)なんてこともあり得ます。こ、これはガーデニング界に新たな旋風を巻き起こす可能性を秘めているかも知れません。

2011年7月14日木曜日

畑仕事中は熱射病に気をつけましょう

 日中は畑で草刈をするにも1時間が限界になって来ました。こんなときはあまり無理をしてはいけません。
 7月は野菜がぐんぐん育つ時期ですがそれ以上に周りの雑草もぐんぐん伸びる時期です。ですから雑草に負けないように野菜の周りの草を刈ってやります。左は5月に移植したカボチャ。右は見づらいですが笹のように伸びているのがショウガの葉っぱです。元気に育てー!

水番の記録

 用水路沿いに山中を歩いていると、果物の熟したような甘酸っぱい匂いがフッと漂ってくる所があります。これはきっとどこかに美味しい果物が実っているに違いないと思いたくなりますが、匂いの元は写真のクヌギの樹にあります。このクヌギの表皮が剥がれたり裂けたりしたところから、樹液がにじみ出て、それが発酵することで先の甘い匂いを発するのです。
 日が上る前に来ればひょっとするとカブトムシやクワガタが集まっているのを見つけられるかも知れませんが、日中にそばを歩くときにはスズメバチに気を付けなければなりません。

2011年7月11日月曜日

梅雨明け・トマトの実

 畑のトマトに緑色の小さな実が付きました。早く大きくなれ!
 今年は新潟県も例年より早く梅雨があけました。猛暑と水不足が心配されます

2011年7月10日日曜日

人足(nin-soku)

 今日は午後から東側用水の人足が行われました。人足というのは、集落の人たち(主に家長)が日を決めて集まり、地域の自治活動を行うことで、その活動の域は非常に多岐に渡ります。
 今日行われたのは、僕が水番を行っている東側用水の草刈作業と用水の土砂崩れ部分にパイプを埋設する作業です。作業は2班に別れて行われました。パイプの埋設は土木作業に秀でた人たち4名が行い、残りの5名は草刈作業です。僕は草刈作業でした。
 写真はパイプ埋設作業後の様子です。土嚢の下に直径60センチ、長さ4メートル、厚さ1.5センチメートルの塩ビのパイプが見えます。こうしておけば冬にこの部分で土砂崩れが起きても用水が埋もれることはありません。すばらしい。
 僕が糸魚川に来て始めて参加した人足は、集落内の水道管を補修する作業でした。水道管は地中に埋めてあるので、シャベルでそれを掘り当て、破損箇所を自分達で交換するのを見て、僕はみんなの作業スキルが異常に高いことに驚きました。
 作業後は決まって慰労会が行われます。僕はもともとお酒の席が苦手なほうでしたが、ここに来てから集会所に集まりうだうだとお酒を飲むのも良いものだと思うようになりました。

上早川地域防災訓練2011

 「午前8:30、焼山岳が噴火しました。住民の皆さんは直ちに避難してください。」
 という放送とともに防災訓練が始まりました。
 焼山岳(やけやま岳)は私達が住む早川流域の上流に位置する、標高2400メートルの活火山です。天気が良ければ我家からでも目視で山頂に煙が立ち上るのが見えます。そしてこの焼山岳で『火砕流』が発生した場合に早川流域の多くの民家が甚大な被害に見舞われると考えられています。
 今日はそういった災害に備えるための防災訓練が『焼山の里ふれあいセンター』で行われました。センター内には降雨体験装置や地震体験装置などのアトラクションもあり、なかなか楽しい防災訓練でした。ただ7月のこの時期に屋外で3時間の訓練は、同時に熱射との戦いでもあり、お年寄りの多いこの地域ではちょっと過酷なスケジュールだったと思われます。

2011年7月8日金曜日

見通しの良いT字路

 今日はパンの日。
 午後からの配達もあと少しで終わりそうだという時のことでした。


 国道8号線から148号線に向かうには、いつもちょっと入り組んだ抜け道を通ります。今日も姫川大橋を富山側から上越側に渡り、一つ目の信号を右折、そして在来線の線路の下をグネグネとくぐった先には比較的見通しの良いT字路があります。Tの字の下のほうから、優先道路に入り右折しなければなりませんでしたので、いつものように左右を確認し、いつものように右折しました。
 すると、どこに隠れていたのか、ひとりのお巡りさんがニコニコしながら現れ、僕の車をわき道へ誘導しています。
「あのね、あそこちゃんと一時停止してくださいね。ちょっと免許書見せてください。」


 ああ、やってしまった。
 違反金7,000円也。

2011年7月7日木曜日

今どきの回覧板

 2週間に一度くらいの割合で集落内の回覧板がまわってきます。
 内容は「振り込め詐欺に気をつけましょう」とか「苗の注文は農協で」とか、あとは地域の行事のお知らせなどです。
 町住まいの人たちにとってはとても懐かしいものなのかも知れませんが、今どきの回覧板は昔とは違い、まずこの昭和レトロな表紙を開けるとiPadのようなタッチパネルが出てきます。それには専用の回覧板用アプリが搭載されていて、それで農協共済の入出金額を確認したり、野菜の苗を購入したり、はたまた農地の転用手続きや売買もできたりします。いやー、すごいですね。


 なんていうのはウソです。昔と何ひとつ変わっていません(笑)。。。

水番の記録

 水番の最中、何箇所か小さな川を歩いて渡らなければならないところがあります。以前はその小川の水中に住んでいたオタマジャクシが最近成体になって現れるようになりました。初めの頃はこの辺りでよく見かけるアカガエルだと思っていたのですが、今日改めてよく観察してみると手足の指先に吸盤が見えます。なんだこれは?と思い、写真を撮り、家に帰ってからネットで調べてみた結果、カジカガエルであることが判りました。
 それによると「地味な体色とは対照的に、大変美しい声で鳴きます。かつては、水盤で飼われその鳴き声を鑑賞されてもいました。おそらく、最古の両生類飼育だと思われます。」ということでした。一度、鳴き声を聞いてみたいです。


参考url http://www.hkr.ne.jp/~rieokun/frog/kazika.htm

2011年7月6日水曜日

滋養・MILK・美味

 いつもパンを配達しているお宅から、これ美味しいのよ、とおせんべいを頂きました。
 何十年もの間、時代の波に耐えてきたものだけが持つ、簡素で美しいデザインだと思います。

梅雨の晴れ間

 玄関先のすだれの上で、どこからどうやって這い上がってきたのだろうか、巨大なオニヤンマが羽化しているところに遭遇しました。時々、田んぼや畑などで作業に没頭していると、近づいてきたトンボが耳元で「ズババババ」とホバリングすることがあるのですが、背後にヘリコプターが降下してきたのかと思うほどの大きな音に、思わず腰を抜かしそうになったことがあります。
 また、この季節、油断して玄関の扉や窓を開けたままにしていると、わずか10センチメートルの隙間からでも、猛スピードでツバメが飛び込んできて、部屋の中を超高速で旋回していくことがあるので気を付けなければなりません。

父の夢と地震

 僕は一人で実家の近くの道を歩いていました。仕事の帰り道でしたが、まだ日差しはとても明るく、周りには木々の緑や色とりどりの花が溢れていて、優しく吹く風がとても気持ちの良い、穏やかな午後のようでした。そんな中を僕は近所の家の生垣を眺めたりしながら、静かに家までの道のりを歩いていました。
 向こうの方から麦藁帽子をかぶった一人の女性が自転車に乗ってゆっくりと近づいてきました。すれ違う時に一瞬だけ目を合わせたその女性は、アイボリー色のノースリーブのワンピースを着て、白いサンダルを履いた、女優の小泉今日子さんでした。僕は、「へえ、こんなこともあるのだなあ」と感心しながらも、そのまま歩いて家に向かいました。
 十字路を家のある方向へ左に曲がる際、もと来た道の方をちらりと振り返ると、今日子さんも自転車を止め、不思議そうにこちらを振り返っていました。それでも僕は再び前に向きなおって歩き始め、間もなく自宅の玄関の前にたどり着きました。すると今日子さんは大事な落とし物でも届けにきたような勢いで、僕の側に自転車を滑り込ませ、ブレーキをかけて止まりました。表情はとても明るく、確か彼女は45歳くらいだったと思いますが、とても生き生きとした顔立ちをしていました。
「こんにちは。」
と彼女の方から声をかけてきました。とても機嫌のよさそうな声でした。
「こんにちは。確か以前映画のお仕事でご一緒しましたね。」
と僕は答えました。ああ、そうだ僕は以前彼女と一緒に映画の仕事をしたことがあったのだ、とそのとき初めて気付きました。彼女がそのことを覚えていたのかどうかはよく判りませんが、とても親しげな笑顔を見せる彼女は健康的な魅力に溢れていて、僕は彼女の細い腕や胸元の辺りに自然と自分の視線が惹き込まれていくのが判りました。
「ここは僕の実家なんです。良ければお茶でもどうですか。」
と僕が尋ねると彼女は、
「ねえ、お酒は飲まないの?」
と屈託のない口調で言いました。僕は少し困ったような顔をしながら、
「少しぐらいなら。でも今日子さんよりははるかに弱いです。」
と言って笑いました。
 その時、すっと玄関の扉が開き、開いた扉の向こうには葉月(娘)他界したはずの父が一緒に座り込んでいました。葉月は少し疲れた様子で、熱があるようでした。
 と、ここで僕は目を覚ましました。時計を見ると午前2:00でした。
 あぁ、夢か(僕は映画の仕事などしたこともない)。できればもう少し小泉今日子とのアバンチュールを楽しみたかったのになぁ。と後悔しながらも、気になることがひとつありました。それは父が僕の夢の中に出てきたことです。前に父が僕の夢の中に出てきたのは今年の3月の初め頃でした。あまりにも重苦しい内容だったのですが、教訓のようのものを夢の中の父が伝えてくれたことが嬉しくて僕は布団の中で声を上げて泣いていました。
 東日本大震災が起きてから、父が夢に出てきたことと大震災とは何か因果関係があるのではないだろうか、という考えが払拭できずにいました。いわゆる『虫の知らせ』といわれているものについてです。これはもちろん非科学的なことだというのは承知ですが、まあ、とにかく夢に父が登場したときは、とりあえず記録しておこうと思い、早朝からパソコンに向かってキーを叩くのでした。
2011.7.5 早朝
追記
 昨日はパンを焼く日で、結局、途中まで書いてから時間がなくなり、記事を投稿できませんでした。そして5日の夜に和歌山県を震源にした地震が起こったことで、「マジかよ?」とちょっとビビッてしまいました(笑)。まあ、偶然が重なるということもあるのでそれ以上深く考えず、また次に父の夢を見たときに検証を続けたいと思います。
 明るく楽しいブログだったのにプチ・カルトな路線に走ってしまった。。。反省。
2011.7.6 9:15

2011年7月3日日曜日

実父の七回忌を迎えて

 子供の頃、父(注1)に連れられて、その当時はまだ賑やかだった隣市の商店街の中にある大きな映画館に映画を見に行きました。その時に上映されていたのは、後にテレビでも話題に上っていたニカウ氏(注2)主演の『ブッシュマン』という映画と、もうひとつは香港のドタバタコメディ映画で、今では子供映画でしか見られなくなってしまった二本立て同時上映という形をとったものでした。そしてその時は『ブッシュマン』がメインで香港コメディはおまけのような位置付けだったと思います。
 僕たちが映画館に到着したのは随分遅い時刻で、ちょうど上映されている香港コメディもすでにクライマックスに入っているようでした。ですから残すところ、その当日まるまる一本上映されるのは『ブッシュマン』のみとなっていたのです。父は券売所で、それはそれは当たり前のように「今やっている映画はもう終わりのほうなんやから、ちょっと負けてよ」と従業員相手に映画の入場券を値切っていました。その結果がどうであったのかはもう覚えていないのですが、この『ブッシュマン』という映画のことを思い出すたびに同時に蘇るのが、父が映画のチケットを値切ろうとしていた姿です。
 父はクラシック音楽が好きで、家族写真をとても丁寧に整理し、きちんとアルバムに仕上げるとても几帳面な人物でした。だから僕はずっと、父の『値切る』という行為に子供ごころに違和感を感じていました。多分、父親を威厳のあるものであり、崇高な存在として捉えていたのだと思います。しかしやはり父は電気屋さんで家電を購入するときも「展示品なんやから、ちょっと負けてよ」と嬉しそうに値切り、人生の終盤に入ってから海外旅行を楽しむようになると、さらに拍車がかかり、諸外国で「ちょっと負けてよ」の台詞を連発しては買い物を楽しんでいたのでした。
 7月2日はそんな父の7回忌でした。1日の夜に糸魚川を出発し、2日の朝に和歌山の僕の実家に到着、午前中にお坊さんが来てくれてお経を上げてくれました。集まってくれた親戚の人たちと近くのフランス料理店で「もうおなかいっぱいで食べられません」という位のお昼ご飯を食べ、そのまま1泊してから3日の昼に和歌山を出発。21時頃に糸魚川に到着しました。みんなお疲れさま。


(注1・2)表題下の写真は僕の父ではなく『ブッシュマン』に主演していたニカウ氏です。
(注2)画像元 http://homepage.mac.com/ubik_factory/cinema/bushman.jpg