2011年7月6日水曜日

父の夢と地震

 僕は一人で実家の近くの道を歩いていました。仕事の帰り道でしたが、まだ日差しはとても明るく、周りには木々の緑や色とりどりの花が溢れていて、優しく吹く風がとても気持ちの良い、穏やかな午後のようでした。そんな中を僕は近所の家の生垣を眺めたりしながら、静かに家までの道のりを歩いていました。
 向こうの方から麦藁帽子をかぶった一人の女性が自転車に乗ってゆっくりと近づいてきました。すれ違う時に一瞬だけ目を合わせたその女性は、アイボリー色のノースリーブのワンピースを着て、白いサンダルを履いた、女優の小泉今日子さんでした。僕は、「へえ、こんなこともあるのだなあ」と感心しながらも、そのまま歩いて家に向かいました。
 十字路を家のある方向へ左に曲がる際、もと来た道の方をちらりと振り返ると、今日子さんも自転車を止め、不思議そうにこちらを振り返っていました。それでも僕は再び前に向きなおって歩き始め、間もなく自宅の玄関の前にたどり着きました。すると今日子さんは大事な落とし物でも届けにきたような勢いで、僕の側に自転車を滑り込ませ、ブレーキをかけて止まりました。表情はとても明るく、確か彼女は45歳くらいだったと思いますが、とても生き生きとした顔立ちをしていました。
「こんにちは。」
と彼女の方から声をかけてきました。とても機嫌のよさそうな声でした。
「こんにちは。確か以前映画のお仕事でご一緒しましたね。」
と僕は答えました。ああ、そうだ僕は以前彼女と一緒に映画の仕事をしたことがあったのだ、とそのとき初めて気付きました。彼女がそのことを覚えていたのかどうかはよく判りませんが、とても親しげな笑顔を見せる彼女は健康的な魅力に溢れていて、僕は彼女の細い腕や胸元の辺りに自然と自分の視線が惹き込まれていくのが判りました。
「ここは僕の実家なんです。良ければお茶でもどうですか。」
と僕が尋ねると彼女は、
「ねえ、お酒は飲まないの?」
と屈託のない口調で言いました。僕は少し困ったような顔をしながら、
「少しぐらいなら。でも今日子さんよりははるかに弱いです。」
と言って笑いました。
 その時、すっと玄関の扉が開き、開いた扉の向こうには葉月(娘)他界したはずの父が一緒に座り込んでいました。葉月は少し疲れた様子で、熱があるようでした。
 と、ここで僕は目を覚ましました。時計を見ると午前2:00でした。
 あぁ、夢か(僕は映画の仕事などしたこともない)。できればもう少し小泉今日子とのアバンチュールを楽しみたかったのになぁ。と後悔しながらも、気になることがひとつありました。それは父が僕の夢の中に出てきたことです。前に父が僕の夢の中に出てきたのは今年の3月の初め頃でした。あまりにも重苦しい内容だったのですが、教訓のようのものを夢の中の父が伝えてくれたことが嬉しくて僕は布団の中で声を上げて泣いていました。
 東日本大震災が起きてから、父が夢に出てきたことと大震災とは何か因果関係があるのではないだろうか、という考えが払拭できずにいました。いわゆる『虫の知らせ』といわれているものについてです。これはもちろん非科学的なことだというのは承知ですが、まあ、とにかく夢に父が登場したときは、とりあえず記録しておこうと思い、早朝からパソコンに向かってキーを叩くのでした。
2011.7.5 早朝
追記
 昨日はパンを焼く日で、結局、途中まで書いてから時間がなくなり、記事を投稿できませんでした。そして5日の夜に和歌山県を震源にした地震が起こったことで、「マジかよ?」とちょっとビビッてしまいました(笑)。まあ、偶然が重なるということもあるのでそれ以上深く考えず、また次に父の夢を見たときに検証を続けたいと思います。
 明るく楽しいブログだったのにプチ・カルトな路線に走ってしまった。。。反省。
2011.7.6 9:15

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